渋井式クロスファイア

野球観戦記。他いろいろ。

【359】ぼくにとっての「Virtual」2

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shibui.hatenablog.com

 

 

 

こんにちは。渋井です。

面倒くさい話だよ。

 

ここでは主に「VTuber」と広義される存在についての話をします。皆様の感覚がどのくらいの物なのかもわかりませんので、ぼくの「VTuber」という表現に、皆様の認識との相違がある可能性があります。また、先日1月14日に行われた「神椿代々木決戦」Day:2の花譜4thワンマンライブ「怪歌」についても触れます。Day:1参加直後にはDay:2の話はしないと思っていたんですけど、この日に思っていた「書かない理由」と、Day:2終了時の「書けない理由」が違うものになっていて、今はむしろ「書きたい」「書くべき」と思っているので書きます。

 

まず、「花譜はVTuberなのか?」ってとこ、あるよね。ある?

 

そこまず解決しよう。「VTuber」って、「Virtual YouTuber」の略じゃないですか。で、「花譜ってYouTuberか?」と言うだけの疑問。正しく言うならば「Vsinger」では?という。それだけなんですけどね。まあ、この先こんな話が結構出ます。

 

 

 

で、じゃあ、「Virtual」の存在について。ぼくの場合、VTuber文化が流行り始めた2017後半~18年頃から見ていたので、当初のVTuber達の「設定(という言葉はあまり使いたくはないけど)」に忠実なところが好きでした。実際問題がどうかとかは考える方が野暮だと、今でも思っています。し、その設定を可能にするのがバーチャルの世界なんだろうなあと思ってます。だから、人外なら人外でいればいいし。18歳なら18歳でいいし、歳を重ねて19歳になるも、18歳を繰り返すもいいし。なので、その存在の「中の人(という言葉も好きじゃない)」を探る文化が大嫌いです。どうでもいいじゃんそんなの。コンテンツに関係ないんだよね。同時に、「中の人」が最初から開示されているVTuberも嫌いです。それはVTuberである必要が無いと思うから。それこそ「VTuber」が流行る前から、顔出ししない配信者って無限に居ました。それでいいじゃん。なんで「V」を名乗るんだ?ちなみに、VTuberって全員顔出ししてるからね??顔見えてんじゃん、いつも。

 

もうマイナーもマイナーな考え方なんだろうなあって思ってますけどね。でもやっぱり許せないんですよね、Vの「中身」に迫ろうとする人種。「代々木決戦Day:2」で感じた一番の違和感は実はここです。「廻花」初登場時の周りの反応が、到底理解に及ぶものではありませんでした。あれって、今でこそ投影技術を使った「バーチャルな存在」という説明をされているのでまだ解釈の深みが出てますが、あの瞬間ライブを見ていた我々は、咄嗟に「人間が出てきた」と思いませんでしたか?それこそ花譜3rdワンマンライブでカンザキイオリ氏が出演した方法と一緒なので、それを瞬時に理解できたオタクが多数なのであれば、ぼくの認識が間違っているし、神椿の世界観の知識不足で申し訳ないですが。個人的には、この「廻花」登場時が、この日最大の歓声が上がった瞬間だったと認識しています。どうなんだろう、驚きだったのかなこれは。

でまあこうなるんだよね。ライブ終わりから現プロデューサーのPIEDPIPER氏の説明文が出るまでは相当な不快感がありましたね。まあ、ぶっちゃけ説明されたところで納得して応援するかと言われればNOでしたが。

 

1人のアーティストが複数の名義を持っていることはよくあります。ユニットでもそうです。古く狭いオタクなので例えが悪いですが、DJ YOSHITAKAでLucky Vacuumだし、fripSide南條愛乃です。他界隈、アーティストに限らなくてもそう。古坂大魔王でピコ太郎だし、高橋茂雄で犬山ヒロシです。だから極論、「カンザキイオリ×廻花」が「花譜」とする、という話なら全然理解出来るんですよ。見た目を変わりすぎるくらい変える必要が果たしてあったのか?まして、花譜とは全く違う世界観で挑戦する廻花を、花譜のファン宛に発信する意味とは何なのか?まあ、それもバーチャルなんで、表現の方法って自由なものだと言われればそうなんですけどね。

 

 

「V」全体の話に戻します。前段落の終わりもそうですけど、本当に「自由」なんだと思います、この界隈。何してもいい、どんなことでも表現できるようになるのが「バーチャルの可能性」だと思います。まだこの界隈に限界なんて来てないんですよ。でも、だからと言って、「リアル」との接点は慎重になるべきだと思います。

「バーチャル」が文化として存在するのは、「リアル」とは少し遠い場所。「リアル」の介入が困難な場所。「リアル」とは違う世界であるべきです。それらの交流を可能にするのが、モニターであり、配信であり、技術です。われわれリアルの人間が、たやすく踏み越えていい境界線じゃないんですよ。リアルの人間には、様々な表現方法があります。ぶっちゃけ、バーチャルの世界にも入れます。バーチャルの存在には、現状バーチャルでしか表現方法がありません。でも、その世界で精いっぱい自己表現しているんです。してきたんです。これまでの約7年間(もはや7年前と言ったほうが良いかな?)に積み上げたその努力を無視して、バーチャルの存在からリアルを引き出そうとするリアル側の行為、自らリアルを簡単に提示してしまうバーチャル側の行為、これまでのバーチャルの存在に対して失礼だと思います。「簡単に数字を稼げる特異な存在」としてバーチャルを扱わないで欲しい。ちょっと可愛くバーチャルでメイクアップして、不思議な設定を盛って、半年立たずに自我ダダ漏れ、実写配信します。もうくだらなさ過ぎる。最初からリアルでやれ。今もう逆に、「バーチャルな存在がリアルを開示すること」が数字を稼げる手段になりつつあるのが本当に気持ち悪い。

 

 

今一度、バーチャル界隈で活動する方も、それを応援する方も、「バーチャル」の意義を考えてほしい。モーションキャプチャーを使うから、Live2Dを使うから、だけがバーチャルじゃないです。それを使いたいだけならそうするべきだし、それは積極的に進んで欲しい文化です。ただ、「VTuber」を名乗らないで。名乗ってもいいけど、初期設定は守って。